2007年07月27日

Villa-Lobos : Biography

villa_lobos.jpg

エイトル・ヴィラ=ロボス ブラジルの作曲家
(Heitor Villa-Lobos 1887年3月5日 - 1959年11月17日)
南米のみならず、20世紀を代表する作曲家のひとり。


1887年、リオ・デ・ジャネイロ生まれ。

アマチュア音楽家であった父親と叔母に音楽の手ほどきを受ける。
特に叔母はJ.S.バッハの平均率クラヴィーア曲集を好んで弾いたと
伝えられており、これが音楽家としてのヴィラ=ロボスにおおきな
影響を与えた。

ピアノ、クラリネット、チェロを演奏することを学んだが、
1899年の父の死後、10代でカフェでチェロを弾いて生計を立てる。

1905年にはブラジル東北部に民謡の収集に出かけた。
その後、リオ・デ・ジャネイロの音楽院で学ぶが、
アカデミックなクラシック音楽とは常に一線を画していたという。

1912年に再びブラジル奥地の調査団に加わる。
その後、リオ・デ・ジャネイロに戻り、1915年11月13日、28才ではじめて
自作品のコンサートを開いた。

これは一部の好評を得たものの、保守的な音楽界には必ずしも受け入れ
られなかった。しかしその後も作曲家としての活動を続け、1922年には
サンパウロの近代音楽週間に招かれるまでになる。そして活動が認められて
政府の奨学金を得、1923年にパリへ留学する。

パリでの作品発表は大評判となり、結果、1930年までパリで暮らすこととなる。
この間に当時の作曲家・演奏家とおおいに交流し、その作品が賞賛を得た。

1930年に帰国。リオ・デ・ジャネイロの音楽院の院長に就任。
音楽院の教育課程を見直すと同時に、ブラジルの民俗音楽に根ざした
作品を創作し、世界各地で演奏を行い、生前から20世紀を代表する
作曲家として世界で認められるようになる。

1959年、故郷リオ・デ・ジャネイロで72年の輝かしい人生を閉じた。

創作期は3つに分けられる。
 第1期 ブラジルの民族的モダニズム音楽を模索したパリ留学まで
 第2期 パリ留学時代とそれ以後の音楽教師の時代(40年代前半まで)
 第3期 国際的評価を得てからの安定した時期

作風の基本も3つ
 1 西洋古典音楽 
   特にバッハについては、本人が「バッハの精神が自分の音楽の
   基本」というほど深く傾倒していた。
 2 ブラジルの庶民の音楽
   同時代の庶民のポピュラー音楽を貪欲に取り入れている。
   というより、むしろまったく独自の音楽に昇華させようとした。
 3 ブラジルの土着民族音楽
   2度の現地調査で得たインスピレーションを自由に展開。

大変な多作家であるが、交響曲や弦楽四重奏曲などの古典音楽の様式に
のっとった作品はヴィラ=ロボス本来の奔放さを制限する面があり、
演奏頻度も少なくあまり人気が無い。

パリ時代にブラジル音楽とクラシックの融合を試みた「ショーロス」
シリーズ、そして第2期に爆発するように書かれた「ブラジル風バッハ」の
ふたつのシリーズが圧倒的な存在感を持っている。

そのほかに、ギターの独奏曲と協奏曲はクラシックギターの奏者に
とっては必須のレパートリーとなっている。一方で教育目的に書かれた
ピアノ小品の数々は子供のための貴重な作品ばかりである。


【この記事 以上】
 

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2007年07月26日

Choros/ショーロス

ショーロス (Chôros) は、「ショーロ」の複数形である。

「ショーロ」はそもそもブラジルの都会で流行したポピュラー音楽の一様式であり、
19世紀の後半にリオ・デ・ジャネイロで成立したとされている。

その起源は、ヨーロッパ各国から流れ込んだ人々が持ち込んだ舞曲と、黒人奴隷の
持ち込んだ打楽器中心のリズム音楽の融合と考えられている。
1910年代には音楽ジャンルとして認識されるようになった。

オリジナルの形は、フルートとギターとカヴァキーニョと呼ばれる小型の4弦楽器
のトリオが標準であったが、その後打楽器や複数の管楽器、ピアノが加わるなど、
多様化している。また、1920年代に入ると、ラジオの普及によって、数多くの
ショーログループ、ショーロ演奏者(ショラオンと呼ばれる)が活躍し、本来
器楽だけだった音楽に歌詞もつくようになった。

ブラジルポピュラー音楽と言えば、「サンバ」「ボサノバ」が思いつくが、
「ショーロ」はそれに先行する重要なジャンルであり、1970年代に入って再注目
され、今日に至っている。

「ブラジルポピュラー音楽の父」と呼ばれるピシンギーニャ
(Pixinguinha 1897-1973)は優れたショラオンであり、作曲家であるが、
彼の誕生日4月23日は、2001年に至って「ショーロの日」として制定されている。

ヴィラ=ロボスは、ポピュラー音楽としてのショーロを作曲したのではなく、
ショーロが爆発的に広がった1920年代に、ショーロという概念にインスパイア
されて自分なりの音楽を作っていったものである。

ポピュラー音楽のショーロの楽団編成が特に統一されていなかったように、
ヴィラ=ロボスのショーロもさまざまな楽器編成のために書かれており、
曲の長さも千差万別であるが、14曲のうち、後半はオーケストラ中心の大規模な
ものとなっている。

「ショーロス」のシリーズは、1920年にギター独奏のための第1番を作曲したのを
皮切りに、1920年代の10年間だけ作曲され、全14曲と補遺(Choros-bis)、
さらに総まとめとしての「ショーロスへのイントロダクション(1929)」
が書かれている。



【作品一覧】

 第1番 1920  ギター独奏

 第2番 1921  フルートとクラリネット

 第3番 1925  「Pica Pau/きつつき」 男声合唱と管楽アンサンブル
        (クラリネット、サクソフォン、ファゴット、
         ホルン3、トロンボーン)

 第4番 1926  3本のホルンとトロンボーン

 第5番 1926  「ブラジルの魂」 ピアノ独奏

 第6番 1926  オーケストラ

 第7番 1924  フルート、オーボエ、クラリネット、
         サクソフォン、ファゴット、ヴァイオリン、チェロ

 第8番 1925  2台のピアノとオーケストラ

 第9番 1929  オーケストラ

 第10番 1925  「愛情の破れ」 合唱とオーケストラ

 第11番 1928  ピアノとオーケストラ。

 第12番 1929  オーケストラ

 第13番 1929  2つのオーケストラとブラスバンド

 第14番 1928  合唱、オーケストラとブラスバンド

 補 遺 1928  ヴァイオリンとチェロ

 ショーロスのためのイントロダクション 1929


 最後の「ショーロスのためのイントロダクション」は、
 それまでに書いた「ショーロス」の主要なシーンがハイライトのように
 次々とメドレーで繰り出されるという、映画音楽のようなユニークな作品。
 この作品の録音は今のところ1つしかない模様。


 第3番「きつつき」は、男声合唱のパートと管楽器のパートが完全に
 重複しており、無伴奏男声合唱曲としても管楽アンサンブル作品としても
 演奏可能と注記されている。この作品は、アマゾン奥地の民謡を2つ、
 現地インディオの言葉のままで引用しており、数多いヴィラ=ロボスの作品の
 中で、生の民謡が引用された唯一の作品とのこと。


【CDリスト】
 (注: 2006-07年現在入手可能なもの 
     品物によっては在庫切れの可能性もあります。)

Choros1-7.jpg
 ショーロス第1〜7番

 ショーロス第8・9番 香港フィル

 自作自演集(6枚組)
 ブラジル風バッハ第1〜8番/
 ショーロス第11番/ピアノ協奏曲第5番/交響曲第4番 ほか


 ショーロス第1番/ギター独奏曲全集 Anders Miolin

 ショーロス第1番/ギター独奏曲全集 Fabio Zanon

 ショーロス第1番/ギター独奏曲全集 Michael Troster

 木管楽器のための音楽集 - ショーロス第2番ほか

 フルートのための作品集
  - ブラジル風バッハ第6番 ショーロス第2番 五重奏曲 ほか


 ショーロス第3番 Singphonic Concert Collection U
 (無伴奏男声アンサンブルによる演奏 現在入手不可)


【この記事 以上】




posted by hvl120 at 14:14 | Comment(0) | TrackBack(4) | ショーロス

2007年07月25日

Bachianas Brasileiras

 
ブラジル風バッハ / Bachianas Brasileiras (バッキアーナス・ブラジレイラス)
 

1930年、ヴィラ=ロボスはおよそ7年に及ぶパリ生活から帰国する。

ヨーロッパ大陸のクラシック音楽界に認められた南米出身の作曲家はほとんど
はじめてであり、そのような
「名士」として、ヴィラ=ロボスは帰国とともに
リオ・デ・ジャネイロの
音楽院院長に就任する。 

パリに行く前にスタートした「ショーロス」シリーズは、言ってみればブラジル音楽と
クラシック音楽の融合実験だったわけで、彼は、このシリーズを帰国前の1929年で
打ち上げ、帰国にあわせて、より斬新な構想によるシリーズを発表していく。 

ブラジル音楽の息吹とバッハの精神の統合という途方も無い発想の第1作が
8本のチェロによる作品というのも、いかにもヴィラ=ロボスらしい破天荒さ加減だが、
ヴィラ=ロボス自身が何度も言及しているように、彼は終生バッハを敬愛し、
このシリーズがけしてパロディではないことを強調している。 

シリーズは1930年の第1番から45年の第9番まで。
中にはブラジル風に傾き過ぎ、というかほとんどブラジル音楽と表現した方が
いい
ものもあれば、厳格な対位法によるフーガもあり、バランスが取れていないと
評されるものもあるが、全体を貫く精神にはおおよそブレが無いと言えるだろう。


作曲家として最も脂の乗った時期の作品であり、間違いなく彼の代表作(群)である。

第1番と第5番が8本のチェロのために書かれており(第5番はソプラノ独唱を伴う)、
この2曲が一般的には最も知られたヴィラ=ロボス作品と言って過言ではない。
特に第5番の第1曲「アリア」冒頭の旋律は「ブラジルの憂愁」をもっとも的確に
表現したものとして有名。
 

第2番の第4曲「カイピラの小さな汽車」は単独でも演奏されるもので、
彼のオーケストラ作品中で
最も有名なものであるが、これなどはバッハとは
縁遠い雰囲気の曲である。
 

ブラジル的な果てのない喧騒の雰囲気と伝統的クラシックが交互に登場する
「第7番」あたりは
もっと演奏されていいものではないかと思われる。


  【作品リスト】 

 
第1番 1930  8本のチェロ 

 
第2番 1933  オーケストラ 

 
第3番 1934  ピアノとオーケストラ 

 
第4番 1930  ピアノ独奏 (1941年にオーケストラ編曲) 

 
第5番 1938(1945改訂)  ソプラノ独唱と8本のチェロ
                  
ソプラノとギターのための編曲あり 

 
第6番 1938  フルートとファゴット 

 
第7番 1942  オーケストラ 

 
第8番 1944  オーケストラ 

 
第9番 1945  無伴奏合唱、または弦楽合奏 



 
【CD】

 Bachi-complete.jpg
 
 ブラジル風バ
ッハ 全曲 (3枚組

 ブラジル風バッハ 第
番 (自作自演)

 ブラジル風バッハ 第
番 カポロンゴ指揮 パリ管

 ブラジル風バッハ 第番 ロペス=コボス指揮
 
 
ブラジル風バッハ 第2・, ギター協奏曲, ほか クリヴィヌ指揮

 
ブラジル風バッハ 第番より ほか

 
ブラジル風バッハ 第ショーロス第10番 ティルソン・トーマス指揮

 ブラジル風バッハ 第番 バーバラ・ヘンドリクス

 
ブラジル風バッハ 第ソプラノとバイオリンのための組曲 The Pleeth Cello Octet

【この記事 以上】 

posted by hvl120 at 17:41 | Comment(0) | TrackBack(3) | ブラジル風バッハ

2007年07月24日

ヴィラ=ロボスのギター作品


ヴィラ
=ロボスのギター作品 

ギター音楽の作曲家としてヴィラ=ロボスは不動の地位を確立している。
しかし、その作品数は、この多作家としては驚くほど少なく、協奏曲が1曲あるほかは、
独奏曲がピース単位で23曲。独奏曲だけならCD一枚に収まってしまう程度だ。


 練習曲集」 (12曲/1929) と 「前奏曲集」 (5曲/1940) 

 このふたつの曲集は現代ギター音楽の古典として燦然と輝く作品である。

 
 「練習曲集」は、名ギタリスト、アンドレス・セゴヴィアの依頼で書かれたもので、
 
セゴヴィアが各地で演奏してたちまち有名になった。 
 全曲通しての初演は意外なことに1962年のことだそうで、これまた名ギタリスト、
 トゥリビオ・サントスの演奏による。

 
20世紀後半、クラシックのギター音楽が再び脚光を浴びるようになった際にも、
 
これらの作品が過去の遺産と現代を繋ぐ作品として重要な役割をになったと
 言われている。
 

 
 「前奏曲集」は、本来6曲だったが、第6曲は失われている。
 (一説によると「盗まれた」とか。) 
残された5曲がいずれも現代ギター曲の
 傑作とされているだけにまことに残念なことであるが、もちろん、そのことで
 この曲集の価値が損なわれるものではない。
 

 
ギターという楽器の特徴を最大限に引き出すこれらの作品は、ギター弾きならば 
 「弾かずにはおれない」もので、セゴヴィアの賞賛の言葉にある通り、
 ピアノ曲ならば
ショパンに匹敵するといってもいい、 「ギターの心」に満ちあふれた
 ものばかりである。
 


 その他のギター独奏曲は、
 
「ブラジル民謡組曲」 (5曲/1908,1912年) 
 
「ショーロス第1番」 (1920 

 
「ブラジル民謡組曲」は、創作初期の作品で、ブラジルの心をクラシック音楽の
 世界に五線紙という形で定着させようと苦闘したころであるが、音楽はすでに
 ヴィラ=ロボスらしい響きを随所にしのばせている。

 「ショーロス」シリーズはいわばヴィラ=ロボスの「挑戦」であったわけだが、
 シリーズのほとんどの作品が「ショーロ」本来の形式にはこだわらず、
 その精神にのっとった自由な即興的作曲であるのに対して、その連作の
 最初である第
1番だけはギター独奏で、形式面でも強く「ショーロ」本来の形を
 意識したものとなっている。

 ブラジルポピュラー音楽に特有の哀愁感が、特徴のあるアクセント、
 ブラジル独特のリズム、4小節単位の構成、ロンド風な構造などで
 表現されている。 これは「ショーロ」という民衆音楽へのある種の敬意を
 表するとともに、宣誓にも近い意識があったものと考えられる。
 

 
1920年というと、クラシックギター音楽の世界に「同時代の作曲家による高度な
 創作曲」がほとんど存在しなかった時代であるだけに、この曲のインパクトは相当な
 ものだったと伝えられている。
 

 
以上が、ヴィラ=ロボスのギター独奏作品のすべてである。繰り返しになるが、
 ピース単位で数えてもわずかに
23曲。このほかに、最晩年にピアノ曲をギター用に
 編曲したものが2曲ほどあるが、こちらはあまり実演の機会はないようである。


 「ギター協奏曲」
 1951

 やはり
セゴヴィアに捧げられたこの作品は、ロドリーゴの「アランフェス協奏曲」や
 カステルヌオーヴォ
=テデスコの協奏曲などとともに現代ギター協奏曲の貴重な
 レパートリーとして知られている。
 


 
その他の ギターを含むアンサンブル作品

 
「神秘的六重奏曲」 (1917) 
  フルート、クラリネット、サクソフォン、チェレスタ、ハープ、ギター

 
「花を配りましょう」 (1937) フルートとギター  演奏時間2分ほどの小品 



 【CD】
CompleteGuitar2 - TimoKorhonen.jpg  
 
 ギター曲全集1 
Timo Korhonen

 ギター曲全集2 Timo Korhonen (左の写真)

 ギター独奏曲全集 Anders Miolin  
 ギター独奏曲全集 
Fabio Zanon  
 ギター独奏曲全集 
Michael Troster  
 


 12の練習曲/5つの前奏曲 Alexander-Sergei Lamirez  
 
 ギター協奏曲 
Sharon Isbin 
 
ギター協奏曲 
Marco Tsessos 
 
ギター協奏曲 
John Williams (ギター協奏曲の名曲集/2枚組)  

 2本のギターのための音楽集


  
【演奏のための詳しい楽曲解説】

 「名曲演奏〜(10)ヴィラ=ロボスとギター」(現代ギター社)

 

【この記事 以上】

posted by hvl120 at 16:24 | Comment(0) | TrackBack(1) | ギター作品

2007年07月22日

ヴィラ=ロボスとルービンシュタイン


ヴィラ=ロボスのピアノ作品を語る上でなくてはならない人が
ルービンシュタイン(1887〜1982)である。 

アルトゥール・ルービンシュタイン (日本の慣例に従い「シュタイン」と表記)は、1887年、ポーランド中央部の工業都市 ウッチ生まれ。 ウージとも表記。原文は機種依存の特殊文字であるため省略します。)

1900年にベルリンでデビューの後、1904年にパリへ。1906年にはニューヨークでデビューするが、批判を受けて4年間ほど再勉強。 その後、スペインでの演奏会が大好評となり各地で追加公演を行い、自身もスペイン音楽への関心を高める。 

1912年のロンドンデビュー後、
1916年にはスペインに長期滞在し、ファリャなどの現代作曲家の作品を多数初演する。 その後、中米へ渡り、さらに南米への演奏旅行を行う。 (注: 当時の中南米では、ヨーロッパから渡ってきた比較的資産を持つ富裕層が盛んに本場の演奏家を招いており、かなり質の高いアートシーンが繰り広げられていたという。) 

ヴィラ=ロボスとの出会いについては、資料によって明らかにオーバーな脚色がなされたと思われるものがあるほか、起きた出来事の前後関係にも微妙な違いが見られるが、いくつかの資料をつき合わせて伺えるところは以下の通りである。 

  
ヴィラ=ロボスは1915年に初めて「現代作曲家」として、
  自分の作品を
紹介するコンサートを催し、徐々にその名を
  知られるようになっていた。
 

  
ルービンシュタインは、前記のとおり、1916年のスペイン旅行の後、
  
中南米へ足を伸ばしており、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで
  
指揮者のエルネスト・アンセルメに会った際、「リオにヴィラ=ロボスという
  
有望な若手作曲家がいるからぜひ会うように」と勧められ、期待を
  込めて
リオにやって来た。 これが1918年のことである。
  (正確な月は不明)
 

  
その作曲家はまだまだ売れていないので、酒場のバンドでチェロを
  
弾いている、という話はルービンシュタインを困惑させたようだが、
  
とにかくその酒場に行ってみると、大衆音楽を演奏する世間並みの
  
「そこらの」バンドであったという。 

  ところが、最後に演奏した作品が、作品も演奏もそれまでとまるで
  違った輝きを持っており、
ルービンシュタインは喜んで、ひとしきり
  演奏を
終えたバンドを楽屋に訪ねていく。
 
  ところがヴィラ=ロボスは、「ヴィルトゥオーゾと呼ばれるあなたに
  わたしの
音楽なんて分かりはしないよ」と、なんともひねた言い方で
  実に冷たくルービンシュタインを追い返して
しまうのである。 

  ルービンシュタインがこのことに憤慨したかどうかは不明だが、
  その翌朝になって、滞在しているホテルの部屋にいきなりヴィラ=ロボスが、
  自分の楽団を引き連れて現れたときにはさすがに驚いた、と言い残している。 

  「やっぱりあなたに作品を聞いてもらいたくてね。 ただ、バンドが仕事で
  午後は埋まってるもんで今しかなくてね」 と言って、ヴィラ=ロボスは
  ホテルの部屋で自作を紹介するコンサートを始めたのである。 

  この豪放磊落な作曲家の人となり、そして何より音楽を気に入った
  ルービンシュタインは 「今年書き上げたばかり」 というピアノ小品集を
  渡されて、
その場は別れることになる。
  この作品が 「赤ちゃんの家族 第一集」全8曲である。

1922年の2月、サン・パウロで「現代芸術週間」が開催され、主宰者は
ヴィラ=ロボスにも招請状を出す。 ヴィラ=ロボスはリオからサンパウロに行く列車代も出せない状態で主宰者が寄付を募って資金をかき集めたという。 

このときの演奏会は野次を飛ばすために集まった聴衆が多く、ヴィラ=ロボスは演奏中になんと足をすくわれてびっこを引きながら退場する有様だったという。(この時ヴィラ=ロボスはサンダル履きだった、と伝えられている。) 

しかし、同じ年の7月5日、リオの劇場でのコンサートにはルービンシュタインが
出演し、「赤ちゃんの家族 第一集」を初演する。 直前にクーデター未遂事件があって緊張した市内でのコンサート強行となったというが、このころには現代ブラジル音楽を牽引する作曲家として認められるようになっていてコンサート自体は成功だった。

同じ年には、ベルギー国王がブラジルを公式訪問し、ブラジル政府の委嘱を受けたヴィラ=ロボスは、国王臨席のコンサートのために新作を作曲、みずからの指揮で交響曲(第3番・第4番)を初演し大成功を得る。 この成功を持って完全にブラジル現代を代表する作曲家として認められたヴィラ=ロボスは、翌23年、一躍パリへと乗り込むのである。 

とはいえ、ヨーロッパではまだ無名のヴィラ=ロボスだった。この時、この作曲家の名を世に知らしむるのにおおいに尽力したのがルービンシュタインである。 彼は、自分のリサイタルでたびたび 「赤ちゃんの家族」を取り上げ、作曲家の名を周知させていったのである。また、経済的には相変わらず苦労していたヴィラ=ロボスに、さまざまな形で援助を与えている。 

有名なエピソードとして、
ある時ルービンシュタインが作曲家に 「知り合いのコレクターがあなたの自筆譜を欲しがっているんだけれど何か売ってあげられないかな」と言って来る。ヴィラ=ロボスは手持ちの「チェロソナタ」を渡し、思わぬ高額の報酬を得るのだが、ずっと後になってルービンシュタインの部屋でその譜面を見つけることになり、そこではじめてルービンシュタイン自身がヴィラ=ロボスの自尊心を傷つけずに援助してくれたのだということを知る、という話がある。 

ルービンシュタイン自身は、この後1920年代後半にかけて 「パリの浮かれた気分におぼれて、気ままな荒れた演奏が増えた」 ため1932年から数年間の間、演奏を控えて研鑽に励んでいる。この年(32年)には、私生活上の放蕩もやめ、結婚して心身ともに落ち着いていく。 

一定の成果を挙げたヴィラ=ロボスは、1930年ブラジルへ帰国している。 

ルービンシュタインは、ユダヤ系であったため、第2次大戦の勃発と共にアメリカに渡り、46年に米国籍を取得。76年の引退までアメリカを中心に活動し、82年にジュネーブで亡くなっている。 大戦後は、「読譜能力が落ちた」ため、現代作品は急激にレパートリーから影を潜めてしまうが、カーネギーホールでのリサイタルなどではたびたび「赤ちゃんの家族」をピース単位で弾いており、残された録音も多い。




■ルービンシュタインによる録音■
rubinstein carnegie highlights.jpg 
 1. 第1・5・8・2・6・7曲 ルービンシュタイン カーネギーホール・ハイライツ 

 2. 第1・5・8・2・6・7曲 ルービンシュタイン・コレクション Vol.42 ※上記と同録音

 3. 第2・6・7曲 ルービンシュタイン・コレクション Vol.2 

 4. 第2・6・7・8・5・3・1 ルービンシュタイン・コレクション Vol.11
    ※ダリウス・ミヨーの組曲「ブラジルの郷愁」からの抜粋も収録


 5. 第7曲のみ ルービンシュタイン・コレクション Vol.68

 
【この記事 以上】
 


posted by hvl120 at 15:51 | ピアノ作品

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